プロローグ
あなたは、自分自身の存在意義を自らで見出せています?
1年前までの私は違いました。自分の存在意義というのは、他が見出すものであって、私はそれに従わなければならないと思っていました。
他者が、
「お前はこういう人間である」
「お前はこういう行いをすべきだ」
と決めると私は、他者のいう「お前」が私なのだと信じていたのです。この気持ちや考えはわからなくはありませんよね。
そして私は、それに従った人間になり、他者がすべきと決めつけた行いをしてきました。
そうしたことによって私はどうなったのか
自らで自らの存在価値を見出すことができなくなっていったのです。
意外とこんな悩みを持ってる人は仕事がうまくいってなかったり、職場の人間関係に悩んでる人は多いですよね。
私がそうだったのでガツンと言えますが、今の会社、今の職場に満足してなくて、神経症になりそうな人は、転職して疲れた心を体を一旦正常に戻した方がいいです。
転職の道ではうつ病寸前だった人が転職して元気になったりした人の体験談がたくさん掲載されてます。
なんせ仕事なんかなんぼでもあるんだし、今の会社にこれ以上いたらヤバいと感じる場合は、離職してとりあえずフリーターで食い繋いだり、転職してまともな会社や職場で働く方が堅実ですね。
私は他者なしでは存在意義を見出すことができなくなっていきました。だから他者との関わりを絶つことにおびえていました。あほでしたw
私の存在意義を見出すのは他者なのだから、私にとって、その他者というのは失ってはいけないものだったのです。
他者と繋がっている、だから私はここにいてもいいのだと安心する。そんな感じでした。
私にとっての「ここにいてもいいのだ」は「私は存在してもいいのだ」の裏返しなのです。
そのような状況下で生きてきて、
・他者を失うのがこわかった
・失うということは嫌われるということ
そして私は、他者に嫌われないようにするために他者が望む「お前」になるよう素直に従っていたのだと思います。
嫌われないように自分を演じ、さらには愛されるように認められるように私は行動しました。
例えば、
・他者が望むような反応をわざとしてみたり
・話を合わせてみたり
・しまいには平気で嘘をつくような人間になりました
そんなことを続けていくと逆に人から嫌われ、私は結局「孤独」にならざるを得なくなりました。
私(管理人)の知人にも、こんな人います。
それがちょうど1年前です。そして私は「孤独」と向き合わなくてはならなくなりました。そのときまず私は考えました。「なぜ今こうして孤独になったのか」と言うことを。
私はずっと他者の求める人間になろうと必死に生きてきたのに「なぜ、今独りになってしまったのか?」と疑問に感じていました。
そのことについて深く考え、私なりの答えを見つけました。
孤独の原因は「嘘をつく私」
私は、
・他者から嫌われたくなかった
・愛されたかった
・認められたかった
…だから繋がっている他者との関係を保つことに必死になっていました。
つまり、そのときAという人といたらAに嫌われないように、愛されるように、認められるように行動する。
また別のBという人と居たらBに嫌われないように、愛されるように、認められるように必死になる…いわゆる八方美人になっていたのです。
八方美人からは必ず「嘘」が生まれます。
その「嘘」というのが孤独になった最も大きな原因だと思いました。他者から嫌われたくないからそして愛されたいから認められたいから平気で嘘をつく私がいる。
孤独の原因は嘘をつく私にあったのです。
欲を満たすことは、自分の価値を見出すこと
私が孤独になった原因はわかりました。
では、そもそもなぜ私は、
・他者から嫌われたくない
・そして愛されたい
・認められたいという欲
を強く持っていたのでしょうか。
私は、人間というのは価値があるから生きている、つまり人間の存在意義というのは「人間として価値があるから」だと思っています。
しかし自分は、人間として本当に価値があるのかということを他者の評価を頼りにはかっていました。
他者が自分のことを、
・凄いねと褒めてくれる
・尊敬してくれる
そうすることによって初めて自分には価値があると実感できる。そんな生き方をしてきました。
この生き方はたいていの人に当てはまると思います。生きていく上で仕方のないことなのかもしれません。
なぜならば、人は常に他者と比べられそして他者からの評価を受けて生きてきたからです。特に幼い頃は褒めてもらうこと、良い評価を受けることが目的で人は行動します。
このことからも人から愛されて、認められて、はじめて「自分には価値がある」と思うことは人間特有の癖になっているのかもしれないと考えることができます。
他者からの評価
「自分の存在意義を他者に見出してもらっている」ということは、「自分の存在価値を他者の評価を頼りに見出している」ということの裏返しです。
つまり、あなたが自分の存在意義を他者に見出してもらっているのならば、あなたは自分の存在価値を他者からの評価を頼りに見出しているでしょうし、逆にあなたが自分の存在価値を他者の評価を頼りに見出しているのならば、あなたは自分の存在意義を他者に見出してもらっているでしょう。
人は誰しも自分のことを心の底から愛したいし、自分には価値があると信じたいものです。他者からの評価によって見出された価値… それが本当に価値のあるあなたなのでしょうか。
自分にとっての価値
「他者からの評価によって見出される自分の価値」を、私は、強く否定したいと考えます。
確かに他者から嫌われずに愛され認められているあなたは、他者にとっては「価値のある人間」でしょう。
しかしあなたに自身にとってはどうでしょうか。
「他者にとっての価値のあるあなた」は、「あなたにとって価値のあるあなた」ですか?
他者に嫌われないために、愛されるため認められるために、本当の自分をごまかして押し殺して作り上げた自分が本当に価値のあるあなたですか?
生きているから価値がある
日本の聖女である渡辺和子さんの書の中に「人間、価値があるから生きているのではなく、生きているから価値がある」という言葉がありました。
参考:
渡辺和子-wiki
私たちは他者から「あなたは価値がある」ということを示されて初めて希望を持つという生き方をしてはいけないのです。
生きているからあなたは希望がある。そして他者のためにではなく自分の理性に従った真の人生を生きるからあなたには価値があるのです。
現在の私
現在の私は、もう誰に嫌われてもいいし、別に進んで人から愛されたいとも認められたいとも思っていません。
そうすると私は自由になりました。自分以外の他者をおそれなくていい、そう気づいたときに自分の価値は自分で見出すんだという考えにたどり着きました。
いや、自分の価値と言うのは自分でしか見いだせない、他者によって見出された価値は偽物なのです。
自分の価値を見出す
自分の価値を見出すためにはまず自分の存在を認めてあげましょう。
「あなたがいてくれるから私がいる」
「あなたがいてくれて本当によかった」
「あなたが生きてくれたからわたしはこうして自分の生を生きて行ける」
「本当にあなたの存在そのものが感謝です」
って自分に伝えるのです。
そうすると自分の本当の凄さに気付くはずです。
人間の存在意義(存在理由)というのは「その人に人間としての価値があるから」と考えている人が大半です。
「その人に人間としての価値があるから」というのはかなり漠然としています。
そこで私が確信している人間としての価値を説明していきます。
神の存在
ここからは、少しオカルトっぽくなってしまいますが…あなたは、神は存在すると信じますか?
私は基本、信じないタイプなのですがこれだけはという都合よく信じている神の存在が一つあります。
それは、「私たち人間は必ずそのものにしか成し遂げられない使命があるから私たち人間は存在する。そして、その使命は神が与えている。」というものです。
「人間としての価値」は「使命をもっているから人間としての価値がある」のです。
おわりに
使命というのは全ての人に課されているものです。
そうすると、存在意義を見出すという表現よりかは存在意義(自分が使命をもっていること)に自らが気付くと言う表現のほうが正しいのかもしれません。
わたしは自分だけの使命に気付いています。
そして気付いた時に「あ、私はこの使命を果たすためにこの世界に誕生したのだ」と不思議なほどすっきり受け入れることができました。結局、人生の最大の問題は自分に課されている使命に気付くか気付かないかだとわたしは考えます。
今一度ご自身で自分の生き方について、自分に課された使命について見つめ直してみるのもいいですね。